2019年4月24日水曜日

何度目かのコンプレックス克服挑戦


こんにちは。お久しぶりです。はい、カミンスキーです。

多くの人はコンプレックスというものをいくつか持っているものです。
例に及ばず、私もコンプレックスをいくつか持っており、そして長年解消できずにいます。

コンプレックスというものは、お金の力や本人の努力で解消できる類のものと、どうしようもないものがありますが、40歳近くになると後者については、諦め…いや、受け入れて個性だと言い張って、生きていく覚悟を決めているわけですが、厄介なのは前者です。

ストイックな人々に、『心の底からそうなりたいと思ってない』、『やればできるようになるんだよ』なんて、心無い言葉をかけられたりするわけですが…

いや、コンプレックス論を語るつもりは全くなかったのに…なんでこんな感じになっちゃったんやろか。長くなるので割愛しますね。

【本題:絵が下手】

はい、私、絵が描けない。下手なんです。専門学校時代、服作るのでデザイン画とか習うんですが、結構頑張った…。でも、下手なんです。

しかしだ、小学校のときを思い起こせば、『よいこノート』または『自由帳』にドラゴンボールのキャラの絵を描いていて、そこそこうまく描けるようになっていたんです。だから、やればできるんじゃないかという淡い期待を持ち続けていて、それから何度も絵が描けないというコンプレックスを解消しようと挑戦しているわけで、そしてまた克服に向けて絵を毎日描くことを始めました。

きっかけは、私、週一回くらい家から出た方がいいんじゃないかと思って、ギャラリーで店番的な何かをやっていまして、そこで展示をしていた作家さんに何気なしに『絵、描けないんすよねー』みたいなことを言ったら、毎日10分、手の絵をできるだけ消しゴムを使わずに書いてみてください 慣れてきたら手以外のそのへんにあるものでも、あと、一日くらい飛ばしちゃっても気にせず続けてください というアドバイスをしていただき、始めているわけです。
まだまだ下手ですが、今のところそれなりに楽しくストレスなく続けられているので、少なくとも僕には合った方法だったんじゃないかなと思っております。



絵描かずに、服作るときどうしてんだ?と思われた方、いらっしゃるかもしれませんが、今はもう本当に適当なラフから始めていきなりトワールで立体組んじゃいます。立体組んでトワール弄ってる間に、初期のデザイン変わってくるので…でも絵が描けた方が色々汎用性があるので、頑張って出来るだけ毎日書いていきますよっと!

それではまた!!ピース



  

2019年3月18日月曜日

【ハイテクスニーカーブーム】記憶でたどる95年~00年くらいのファッションエピソード1


こんにちは。はい、カミンスキーです。
今日は僕がファッションに夢中になった90年代なかばから0年代頭にかけてのお話しでも。

どのようにファッションに夢中になったかは、このブログのカール・ラガーフェルドさんという記事で多少触れていますが、まぁ突然95年にファッションという熱に浮かされるわけです。

【90年代の出来事】

まずはざっくりと90年代というものを感じるために、僕的記憶に残る90年代になにがあったかのおさらいです。

阪神大震災
地下鉄サリン事件
麻原彰晃逮捕
新世紀エヴァンゲリオンがすごい流行る
ハイテクスニーカーブーム
全国的にモード系が流行る
インディーズブランドブーム
ユニクロがイケてるブランドにユニクロブーム到来

記憶で書いているので時系列間違ってるかもしれませんがだいたいあってると思います。
あとすごく重大なことも抜かしてるかもしれません、いや絶対なんかあったはず…まぁ、なんにせよ20年以上前のことですから…

【ハイテクスニーカーブーム】

95年頃またはそれ以前から、僕がすごした大阪という街は古着が有名で、当時は大阪イコール古着みたいな風潮がありました。ファッション誌の「好きなファッションは?」みたいなアンケートも大阪では「古着系」という回答がいつも1位になる、そんな状況でした。
今から考えると当時はその街の個性みたいなものが、今より強くあったのかもしれませんね。

そんで突如として始まったのがハイテクスニーカーブーム。まぁ、スポーツのためにいろんなテクノロジーを突っ込んだスニーカーですね。
このブームが微妙に始まる前にバスケットシューズ、いわゆる、バッシュといわれるものを履くとオシャレみたいな空気が先に流れたように記憶しています。
リーボックのフィット感を増すために空気を入れるポンプヒューリーとかかな。

そこからナイキのスニーカーが突如売れ始めます。何度も突如というワードを使いますが、本当に突如です。

ソールに丸い何か得体のしれない物体が埋まってるズームフライトというスニーカーやら、名前は忘れましたが真ん中じゃなくサイドでレースアップするランニングシューズ(だったはず…)エアなんちゃらというスニーカーやら、いろんな名前のスニーカーが品薄になりどんどん価格も上がっていきます。

かくいう私も、恥ずかしながらナイキなことだけは間違いないよくわからにスニーカー履いてました…。有名なのは買えないのでよくわからないやつ履いてました…あと天邪鬼なのでサッカニーとか履いてました。そのへんも若干プチブームっぽくなってました。

その中でもそのブームの火付け役といいますか、ブームを牽引したといいますか…このブームの主役スニーカーがあります。それは、エアマックス95!

はい、価格は定価の5倍以上の10万越えになります。
たくさんの偽物というか似たデザインの明らかな別物が出現します。そして、別物でもいいやと、それを買って履く人も出現します。明らかな別物の価格は3000円くらいで安いです。

もちろん素人には本物と見分けがつきにくい本物みたいな偽物も出現して、見破り方みたいな情報も出回ります。もちろん、インターネットは普及していないので雑誌の情報なんかから、緩く伝わっていきますので、被害者は割と多いと思います。
と同時に香港に行けば本物が買えるなんていう怪情報まで流れます(本当に香港には売ってたのかもしれませんが…)。

そして最盛期には…狩られます!履いてると狩られます!!通称エアマックス狩りです!!
21世紀に生まれた現代人の皆様には世紀末すぎて意味わからないと思いますが(まぁ、95年なので実際世紀末なのですが…)、大阪だけじゃなく日本各地で本当に起こった出来事です。

僕は目の当たりにしたことはありませんが、目の当たりのした当時の友人の証言を物語仕立てにして以下に記します。

『場所は長居公園、件のスニーカー、エアマックス95を履いている少年が嬉しそうに、そして軽やかに、日曜の昼下がり、ぽかぽか陽気の公園を散歩していました。すると前から10人ほどの集団が歩いてきます。少年はその後に起こる出来事を知る由もなく、そのまま嬉しそうに歩を進めます。
そしてすれ違うや否や…襲われ神輿のように持ち上げられ、なすすべなくスニーカーを脱がされ奪われます。事が済むとその集団はあっという間にいなくなりました。
脱がされたその少年は茫然とし、その場に残されたのでした…もちろん裸足で。』

はい、90年代恐ろしいです。

しかし、そんなブームも…いやブームというよりバブルと呼んだ方がいいですねwその後、急速に下火になっていきます。ハイテクスニーカーバブルはじけていきます。
弾ける直前に、テレビ番組で脱サラしてスニーカー輸入して店始めたお兄さんのドキュメンタリーとかありましたが、あのお兄さんはその後どうなってしまったんだろうか…

ちなみに僕はハイテクスニーカーブーム最盛期少し過ぎたくらいにローテクスニーカー履いてました。コンバースオールスタージャックパーセルアディタススタンスミスとかですかね…。

ハイテクスニーカー高くて買えなかったりってのと、天邪鬼な性格が功を奏したようですね。
まぁ、一番の理由はマイフレンドフォーエバーって映画で主人公が履いてたスニーカーがオールスターだったっていうめちゃ単純な理由なんですけど…それみてオールスター買いました。

だから、スニーカーバブルはじけたときは謎の優越感ひたりましたwまぁ高校生ですから浸りますよね…思春期ってそういうもんです。

ということでヘンテコな95年頃のハイテクスニーカーブームの話、それだけでかなり長くなったちゃったので、続きのお話はまた今度!
それではまた☆

2019年3月3日日曜日

淀川河口から琵琶湖まで歩くだけ

こんにちは。はい、カミンスキーです。

【行程etc.】


  1. 日時:2月26日だいたい朝7時30出発
  2. 天気:快晴
  3. 行程:淀川の河口(北港ヨットハーバー)~琵琶湖、大津 60キロくらい
  4. メンバー:おっさん二人

西九条からバスに乗って出発点の北港ヨットハーバーまで。

【出発地点の説明】

ヨットハーバーに着いたのは朝7時半。
ちなみにヨットハーバーはこんな感じ。
どんな人がヨットの所有者なんだろ。

大阪に住んでるけど北港とか初めて来たよ…工場地帯なのかな。

なんかカリン塔みたいな変な建物が遠くに見えるけどなんなんだろう…

これがまぁ、北港というとこです。こんな雰囲気。





【歩く】


メンバーはわざわざ貴重な休みを関東から大阪まで来て、おっさんと歩くことに費やした稀有な存在、以下ガイドさんとよぶことにする。

とくに準備体操もせず、『まぁ、5km/hであるけば12時間、4km/hでも15時間くらいだし平地だし大丈夫っしょ!』っと安易に考え、おっさん二人は淀川沿いを延々と歩き始める。

歩き始めて一時間くらいで景色の変わらなさに飽きはじめる…ホントに景色全然変わらない。あと年度末だからか川沿いの工事が多くて結構迂回させられる。


だいたい4km/h前後で歩き続ける。
わりと早く毛馬閘門のあたりに。だいたい3時間かかってないくらい。
出発地点から11kmくらい。
ここも工事してたから正面からは撮れなかったけど結構かっこいい場所。ここはタダで古い閘門を観れるので大阪に来た際はぜひ。


こんな感じで河口からの距離を記してる標みたなのがとこどころに、微妙に距離が違うのは、たぶん正確にはヨットハーバーのところは淀川じゃなくって大阪湾なんだろな。



毛馬閘門すぎたら淀川を利用した釣り堀がたくさん。あと野鳥?の写真を撮ってる人もちらほら。
東京の河原とか行ったことないけど、似たような感じなんだろな…とか思いながら関東から歩きに来たガイドさんを見ると、この人の休日はこれでよかったのだろうか…なんて考えながら変わらない景色を見ながら歩き続ける。

結構疲れてきたので城北公園で休憩することにして城北公園まで歩く
これ城北公園。だいたい13.6km。
まだ1/4いかないくらい…遠い。
午前11時23分、休憩終えて再び歩き始める。出発から約4時間。





本当に代り映えしない景色…とりあえず気色の悪い遊具くらいしか目新しいものはみえず口数も減る。
これが19kmくらい。場所はここ
ここまで5時間ちょっとなので休憩込みで4km/h。まだこのころは元気だったんだな…





これ以降写真無くなります…。なんですかね、疲れたんです…。色々痛いし…。
だから「…」が多様された文章になります。

ひらかたパーク付近で風が強くて風の音がうるさいとネット界からクレームが…。マイクの風防にやたらストッキングを押す声が大きいので、セブンイレブンに補給も兼ねてストッキングを買うことに。

コンビニのストッキングコーナーでどれがいいか選ぶおっさん二人…タイツとストッキングどっちにすればいいのか迷う…。
コメント界ではストッキングと言っていたのを後押しにストッキングにすることに。
マイクにストッキングを巻き付けてテストするが、風の音がうるさいとまだ言われる。なんでだよ…ストッキング買ったのに…。なんでだよ…。

でもイヤホンマイクをさしなおすと…治った!
なんか不具合でスマホ本体のマイクで拾ってたみたいだ…。ストッキングいらなかったじゃんw
まぁ、風がもっと強くなったら使おう。
まさか40歳目前でストッキング買うことになるとは…おっさん同士でどのストッキングをいいかと相談することになるとは…
ちなみにマイクにストッキングを巻き付けているおっさんの様子はこちらです。


このころは言うてもまだ元気に入る部類。出発からだいたい25.6キロ。

このあたりから、すれ違う人々に淀川の河口から歩いてきたと言いたくなる衝動に駆られてくる。たぶん、結構しんどくなってきた兆しだったのかもしれない。

この後急激にいろんなところが痛くなってきて、平地だしとか舐めてたことを後悔し始める。
歩くだけって大変だ…ガイドさんの口数も減ってくる…
老犬の散歩をしてるよぼよぼの爺さんにも抜かされる…

そしてついに「ああ、これ琵琶湖とか無理じゃね?」

言ってしまった…。とりあえず、行けるとこまで行ってみる。

樟葉超えたあたりでトイレと補給も兼ねてどこか休めそうなところはないかと探していると、大きめのスーパー、セリアマツモトというスーパーが見えてきたので行くことに。
だいたい、36.5km時間は6時過ぎくらいだったかな…。

7時にスーパー出たら、日も暮れてすごく寒くなってて…。体中痛いし、めっちゃトボトボ歩いていく。
車通りが多くて車道しかなく危険なので、川沿いから少し入った住宅街を歩くことに。

住宅街は道が入り組んでて行き止まりに。何度か迂回しようとしてもまた行き止まりに…。はい、ここで心が折れました。

「帰ろう。電車乗って帰りましょう。無理だ。はい、終了。」

いきなりの終了宣言でたぶんみんなズッコケただろうな。直前まで行けるとこまで行くとか言ってたのにw

気を取り直して、とりあえず次の駅の八幡市駅へ。

なんとかガイドさんに道を探してもらって(僕は調べる気力すらないw)無事八幡市駅に到着。
【距離:39.2キロ 出発時間7時30分 到着時間:20時15分 かかった時間:12時間45分】


【感想】

歩くって大変だ。
もう24時間テレビとかのマラソンとか絶対バカにしない。萩本きんちゃんとか、本当にごめんなさい。というかもう全体的にごめんなさい。
電車とかない時代の人も本当に尊敬。
わざわざ関東から来てくれて一緒に歩いてくれたガイドさん、見てくれてた方々にも感謝です。

あと、体力やらが本当に落ちてるのでちゃんと運動しようと思いました。

【後日】

3日くらいで筋肉痛とか痛いところは大体治って、あとなぜか腸の調子がよく、下しているわけじゃないのに一日3回くらいトイレにいくようになりました。
なんとなくスッキリしているので歩いて良かったのかもしれません。
次はとりあえず、暑くなるまでに途中リタイヤした八幡市駅から大津まで!!
ではではノシ

続きの八幡市駅から大津まではこちら

2019年2月23日土曜日

Musée Yves Saint Laurent Paris サンローラン美術館

こんにちは、はい、カミンスキーです。
今日は写真多めで。

前回ラガーフェルド爺さんのお話に出てきたサンローランのお話でも…
というより、主にMusée Yves Saint Laurent(イヴ・サンローラン美術館)の話になります。

<ほんの少しサンローランのこと>

その前に、ちょっとだけサンローランについて。クリスチャン・ディオールが急死したことにより21歳でディオールの主任デザイナーを任されて、コレクションを成功させたすごい人です。色々病気になったりでしたが、わりと長生きしてます。

<サンローラン美術館>

2017年の10月くらいにオープンで、わりとこじんまりとした美術館ですが、めちゃくちゃ近くで洋服みれます。

入口にめちゃめちゃ強そうな厳ついガードマンがいますが、びびらずカバンの中をチェックしてもらいましょう。日本のガードマンみたいな制服じゃなく普通にスーツきてます。

中に入ると受付でプリントアウトしたバーコード付きのチケットをみせて、ロッカーに荷物を入れます。そのとき小銭必要(後から返ってくる)ですが小銭が無くても受付の人に言えば「後で返してね!」って言ってプラスチックのコインくれます。

受付ではいきなりフランス語で対応してくれますが、唖然とした顔をしてると「英語のほうがいい?」って言って英語で対応してくれますのでご安心を。

そして席について最初に映像を観ます。それから洋服や書斎をみてから、最後に別の部屋でまた映像観ます。最後の映像の前にちょっと階段で並んで待ちます。映画館みたいな入れ替え制です。フランス人はパーソナルスペースが狭いのか、一気にできるだけ沢山の人が見れるような優しい配慮なのかわかりませんが、めっちゃ詰め詰めに座りますw

英語わかった方ががキャプションも読めていいですが、まぁ読めなくても服見てるだけで楽しいのでそこまで問題ないと思います。

まぁ美術館の中での流れはこんな感じでそろそろ写真のコーナーに、2017年の12月に行ったときの写真です。

<サンローランの洋服の写真>
















こんな感じでホントにめちゃくちゃ近くでみれます。
たまにワークショップもやったりしてるみたいだし、チケットも日本からネットで支払い可能なので洋服好きな方はパリに行った際はぜひとも訪れてくだされ!

2月26日淀川の河口から琵琶湖まで歩くので次回はその記事でも。

それではまた

PS2019年5月19日 プライム特典で観れるみたいです☆

2019年2月20日水曜日

カール・ラガーフェルドさん

こんにちは、はい、カミンスキーです。

 昨日カール・ラガーフェルドさんの訃報をニュースで知りました。
名前を知らない人もシャネルのデザイナーで白髪のポニーテールの爺さんと言えば、『あっ、なんか見たことある!』となる方々も 多いのではないでしょうか。 

1年間ちょっとで40キロ以上体重を落としたり、すごい書斎を持ってたり、猫との写真が有名だったりと、その独特な風貌に負けないくらいの逸話が多々ある方です。
まぁ、どんな人だったかの詳しい情報はネットの海の中にゴロゴロ転がっているので興味がある人は調べていただきたい。

【以下ちょこっと自分語り】
僕が初めて認識したのは、1995年あたり。田舎から都会の高校に通うようになった田舎者の僕は友人の持っていたファッション誌を見て、ファッションに夢中になりました。
それとともに勉強への興味は反対にどんどん下がっていったわけですが… 

そのときに関西ではテレビ大阪でやっていた『ファッション通信』という番組があり、大きなサングラスがトレードマークの大内順子さんというファッションジャーナリストの方が主にハイブランドやコレクションなんかを紹介する番組をみていたとき、そのときが16年間の人生ではじめてカール・ラガーフェルドを認識したときでした。

当時の僕の最初の印象は失礼ながら、なんかダサいおっさんだなぁ…その認識はその後7年間続くわけです。シャネルがあまり好きでないってことも影響していたのかもしれません。今改めて見ると結構かわいいけど…
しかし、七年後、一冊の本の一枚の写真が一変させました。
以下引用        
               
FASHION DESIGNERS/PAMELA GOLBIN」より引用 
                   
素晴らしいコート。

ラガーフェルドさんも年を重ね本当に素晴らしい爺さんになっていったように感じます(もともと素晴らしい人だとおもいますが、個人的感想ですw)。
キャラが服装を凌駕したというか、ラガーフェルド爺さんの服装自体がラガーフェルドというジャンルを確立したというか。そんな感じを受けます。

最後に1950年代というのは本当にすごい時期でパリ・オートクチュール組合がやっている学校サンディカの同級生がラガーフェエルドさんとサンローランさん。そして、とあるコンクールの毛皮部門の受賞者がラガーフェルドさん、ドレス部門がサンローランさん、そしてそのドレスの縫製はジバンシーさんだったとか…聞いてるだけでワクワクするような逸話。

近年、そのファッション界のレジェンド達も亡くなってしまい本当のレジェンドになってしまったんだなぁと思うと、高校生という一番多感な時期に夢中になっていた僕としては懐かしさも相まってか、寂しく感じると共に新しい時代の始まりなのかなぁ…なんて思っております。

次回は2017年に行ったサンローラン美術館の写真とともにサンローランのお話でもしますかね。それではまた☆

2019年2月18日月曜日

服飾的名著『100年前の写真で見る 世界の民族衣装』

はい、カミンスキーです。
今回は服飾的に役立ちそうな本の紹介をします。


100年前の写真で見る 世界の民族衣装 /ナショナルジオグラフィック  から引用


100年前、民族衣装…個人的に好きなワードばっかりなので思わず購入しちゃいました。

約100年くらい前の写真なので、衣装として着ているというより普段着として生活のなかでちゃんと着ている写真が多いと思います。
それに写真とともに地図でどこの民族衣装なのかも記してあり地図とリンクしてみると色んな事が想像できます。

この服を着ながら色々な活動を行っていたんだと考えながら見るとワクワクします。

寒い地域でもわりと裸足が多いのに驚かされますw

普段着から結婚式などの特別な日の装い、アッパークラスの装い等々、6つのチャプターと3つのコラムから構成されており、より立体的に見ることができます。

例えば普段着ならその服を着て生活を行うわけで、その土地の気候や風土からの影響を受けた機能美を備えているわけで、また結婚式の衣装ならその地域の人がどのようなものにエレガンスを感じていたかということが想像できるみたいな。

まぁ、色々書きましたが持ってて絶対損しない本なので、服飾やってる方々には超オススメです!!デザインソースなどなどにふんだんにお使いくだされ!!

それではまた☆



2019年2月14日木曜日

このブログとブログの著者について

初めまして、こんにちは。はい、カミンスキーです。

少しばかり長めの自己紹介を。

僕は服飾のお仕事をしております。
主に紳士服で、わりと伝統的な感じでメンズスーツやシャツを作っております。
たまーにワンピースやドレスを作ったりもします。
あとは、百貨店からのお直しとか、専門学校で教えたりとか…

そんなこんなでなぜブログを始めたかと言いますと、服飾に興味もったり、
趣味ででも服作る人が増えればいいなと思いまして、また独学で服作ってる人の手助けに少しでもなればと思い、知ってることをどんどんここに出して行こうかなと。

だから、後々は自分の製図や動画なんかも載せていけたらななんて考えています。

主に服飾ですが、土偶作りや旅行先の紹介、その他くだらない記事も多々アップされていくとは思いますが、息抜きだと思って読んでいただければありがたいです。


ここはもともとテストページでして、下の魚の写真はテストとしてあげていたその名残として置いてきますw何にかわかりませんが自由に使ってください。

それではまた☆

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自己紹介

自分の写真
主に紳士服の仕立屋、土偶作家の私です。 趣味は服飾したり、土偶作ったり、散歩したり、朝食作ったり。